2019年2月の活動報告


《例会報告》

 

日時:月24日(日)13301700

場所:四日市市総合会館 4階 技能習得室

参加者: 計9名

 

第一部13301430 『実践吃音改善』 担当:T

  電話練習

まず最初に、LINE通話(無料)を利用し、ペアを組み、電話練習を行いました。途中、メトロノームのリズムも使いましたが、リズムに合わせなくても音を聞いているだけで言いやすい感じがしました。

 

   滑舌トレーニング

次に、滑舌トレーニングを行いました。「お綾や親にお謝り。お綾や八百屋にお謝りとお言い。」などの早口言葉をメトロノームのリズムに合わせてみんなで斉読し、その後、順番に一人一文ずつ読み上げました。最後には、メトロノームなしで読みました。

 

 

   朗読練習

「吃音臨床入門講座」の中から早坂菊子先生の吃音心理臨床講座の文章と、『ことばの自己療法』マルコム・フレーザ著の

「12の基本原則」を順番に朗読しました。メトロノームの速度は1分150170拍と徐々に上げていき、最後はメトロノームなしで読みました。

 

   自己紹介&近況報告

最後に、メトロノーム法でリズムに慣れた感じのまま(メトロノームは使わずに)、順番に自己紹介と近況報告を行いました。普段は予期不安などを抱え、安心して言葉を発することができない方も、リズムに合わせることで、安心して言葉を発せられます。うまく読む、ことが目的ではなく、安心して言葉を発すること、流暢に話す能力が自分にもあるということを実感し、自信をつけてもらうことが目的です。話すことって楽しい、読むのが楽しい!と実感してもらえたらと思います。時間があれば、朗読した文章の内容について、皆で話し合えたらと思っていましたが、時間切れでした。またの機会に、ゆっくりとした発話で、意見の出し合いなどもできたらと思っています。

 


第二部14:3017:00 『トーク!トーク!トーク!』~しゃべりたい人あつまれ!~ 担当:A

ひとり持ち時間10分でみんなの前でなんでも好きなことを話してもらいました。

 

   H会長とOさんにはお話の内容を原稿にしていただきましたので以下に掲載します

 

 ・H会長 「吃音と天才」

 

元総理大臣田中角栄を描いた石原慎太郎著「天才」を読んで、吃音と天才について少し考えてみました。

 

吃音者と天才のある共通点!あなたは大成功をおさめる可能性を秘めています!

 

あなたは、後世に名をのこした天才や偉人と言われた多くの人が「吃音」であったことをご存知ですか?

 

彼らに共通していたのは、吃音だけではなくHSP(高い感受性)もその1つとされています。実際に吃音に悩まされ続けた天才や偉人たちがなぜ成功できたのか?

 

今までマイナスの側面でしか捉えていなかった吃音も見方を変えれば、もしかしたら大きな強みになるかもしれませんよ! 実は吃音で悩んでいた多くの天才や偉人たち

 

アインシュタイン(物理学者)、マリリンモンロー(ハリウッド女優)

 

ダーウィン(自然科学者)、ブルースウィリス、ジュリアロバーツ、タイガーウッズ、

 

田中角栄

 

そして彼らに共通するのは「HSP(高い感受性)」です。

 

そして1996年にこの高い感受性を持つ人をエレイン・N・アーロン博士はHSPと定義しました。現在では、日本人の5人に1人がHSPとされています。吃音者では10人に8人はHSPであると言われています。

 

HSPとは?

 

HSPとはHighly sensitive personの略称。生得的な 特性として、高度な感覚処理感受性(あるいは、カール・ユングの造語で言えば生得的 感受性)を持つ人のこと

 

HSPの特徴としては

 

処理の深さ(Depth of processing

 

過度な興奮(Over aroused

 

感情的反応性・高度な共感性(Emotional reactivity and high empathy

 

些細な刺激に対する感受性(Sensitivity to subtle stimuli

 

短所として捉えると

 

ストレスを溜めやすい

 

周りに影響され過ぎてしまう

 

これらを長所として捉えると

 

相手の気持ちが人以上に理解できる

 

優しい/愛情深い

 

として、繊細過ぎることで周りの反応を気にし過ぎてしまうということが言えます。

 

 

 

HSPの性格だからこそ見つけられる自分の強みを見つけることが出来ます。

 

天才にはなれないとしてもあなたの才能を活かす場所=あなたを必要としている場所は必ずあります。

 

 

 

・Oさん  「吃音者の描かれ方」

 

 文学でも、映画でも、テレビでも様々な場で吃音者が描かれることがありますが、実際どのように描かれているのでしょうか。

 

私の知りうる事例をいくつか挙げて、みてみたいと思います。

 

まず思い浮かぶのは、三島由紀夫の「金閣寺」です。この作品は読んだことはないのですが、主人公は吃音の青年である、ということです。

 

いろんな苦悩や葛藤の中で最後には金閣寺に火をつける、という話だそうですが、このように、まじめに取り上げられた例は数少ないと思われます。

 

むしろ、滑稽な、からかいの的として描かれることのほうが多いように思われるのです。

 

私はオペラが好きなのですが、スメタナの「売られた花嫁」というオペラに出てくる、ヴァシェクという青年、そしてJ・シュトラウスの「こうもり」に出てくる弁護士のブリント、この二人は吃音者なのですが、どこか愚鈍で、それゆえに滑稽な人物として描かれています。

 

ヴァシェクは、まだ愚鈍ながらも素朴なお人よしの人間なのですが、ブリントは、完璧に観客から「笑い」の対象として描かれています。

 

主人公のアイゼンシュタインが、妻とその音楽教師のアルフレートの不義密通を疑い、このブリントに変装して、二人を問い詰めるシーンがあります。

 

どこか愚鈍なブリントの真似をして、ひどくどもって観客の前に現れるのです。観客の間からは笑い声が漏れてきます。

 

おかしな場面ですが、やはり吃音者が、これを見ていて、楽しいはずはありません。自分がバカにされているような感じがしないでしょうか。

 

 テレビでもおなじみの「裸の大将」の山下清画伯も同じですね。

 

とても愚鈍に描かれており、みんなにバカにされることもあります。まあ、こちらは「水戸黄門」のように、最後にはバカにしていた「清」が有名な画家であることがわかって、一段落するのですが、でもやはり「清」の描かれ方には、我々吃音者は、見ていてつらいものがありますね。

 

実際の山下清さんは、昔テレビで見たことがあるのですが、そんなにひどい吃音ではなかったと思います。でも、映像作品では、吃音もちで、愚鈍で、「ちょっと足りない」という部分が、ひどく大げさに描かれるのですね。

 

 ブリントや、山下清さんの場合、どうしてこんなに「吃音」が強調されるのでしょうか。やはり、吃音は「滑稽だ」、社会的に見て「笑われる存在だ」という社会的通念が働いているのではないでしょうか。吃音者をバカにして笑う人が、一部とはいえまだまだ存在するのではないでしょうか。

 

 それが証拠に、もう一人有名な人物を挙げておきます。

 

有名な名探偵「金田一耕助」です。この人は、原作では、ぼさぼさ髪の風体の上がらない、さらに吃音がある人物として描かれています。

 

でも、映画やテレビで映像化された金田一は、ほとんど吃音を感じさせないですよね。

 

初期の石坂浩二さんが演じた金田一には、多少そんなことを感じさせる場面もありましたが、むしろ控えめで、そのあと演じられた金田一には、まったく吃音はありません。どうしてでしょうか。

 

頭脳明晰な名探偵が、ブリントや山下清さんのようにどもっていては、話しにならないからではないでしょうか。そんな思いが、制作側に働いているのではないでしょうか。

 

ぼさぼさ髪の風体の上がらない人物といえば、コロンボなんかもそうですが、身なり、風貌ではバカにされても、それが頭脳の明晰さを阻害するものではありません。それなのに、どもりの金田一やコロンボでは、頭脳明晰なイメージが吹っ飛んでしまう。

 

そんな社会通念が制作側にも大いに働いていることは、想像に難くありません。

ここには、やはり、「吃音=愚鈍、滑稽」という社会的な大いなる偏見が働いているのではないでしょうか。

吃音者に、「頭脳明晰」というイメージがあっては違和感があるのでしょうか。

悲しむべき現実ですが…